その2

「震災予知談の数々(「濃尾震談」中より)
地震の発動する期節或は年月に就きても其の説甚だ多し。即ち月の位置と地震発生の関係に付き、博士ペリー氏は統計を攻究して左の如き結果を得たり。
一、地震は弦月の時よりも満月新月のときに多し。
二、地震は月の地球に遠きときよりも、これに近きときに多し。
三、地震は月が水平線にあるときよりも、子午線にある時に多し。
(*この三箇条は、太字ゴチック)
次に太陽の位置即ち一年の期節中何れの時に地震最も多きやの問題も、亦諸学者の研究する所にして、古昔より種々の説あり。プリニー及びアリストールは地震は春秋に多しといへり。又フツクス氏は千八百五十年より千八百五十七年間地震の発生は彼岸に多く、殊に秋の彼岸に於て多し。而して北半球に於ては夏至より冬至に多く、南半球は之に反して夏至に多しとす。 本邦に於ても地震は月の二十八宿に関することは、古より論ぜし所なり。又樺太カムチヤツカ、シシリー及び南米等は彼岸を以て最も戒心すべき時なりといふ。(*この間、界線あり)
地震は衛星の位置に関すといひ、太陽黒点多き時は地震少しといひ、流星多ければ大震来ると説くあり。或は地震の時朦朧たる光り物の太陽に現ずるにありて、是等を空中電気の作用に帰する人あり。本邦に於ても大震の時は、往々是等の現象を発することあるは旧記に見ゆる所なり。 (*この間、界線あり)
地震の来る前には地下より噴出する瓦斯に変化を生じ、泉井の水色及び味変じ、又は水平面温度等を変ずること数々なり。現に今回の地震前に 遠州の天然瓦斯非常に噴出の量を増し、又熱海の温泉増せしが如き。若しくは先年磐梯山の破裂にも其近傍の鉱泉に変化を生ぜしことは、当時難を免がれし人の説く所なり。泰西にても千八百四十三年インジヤの地震には鉱泉の性質変化を生じ、千八百五十一年メルビの地震前池水騒ぎ、泡沫生ぜしことあり。
地下鳴動の如きも亦地震の前兆として知られたるものにして、リマ府の囚人ビヅアリが其市の破壊を予言せしはこれに因りしなり。千八百三十一年シントレモの地震及び、千八百六十八年のイクイツクの地震前には同じく鳴響を聞きしと云ふ。これ等の事実は本邦人の常に覚知する所にして、地震前には必ず鳴響の来る如く一般に信じ居れり。」

「動物の地震予知(同上)
動物の異常によりて地震を前知せしことは古より多く有るの事実なり。カラカスの土人は多くは犬猫等の動物を飼育し、其不安の挙動を見て地震を予知す。
千八百二十二年チリの地震前海鳥群飛して陸上に集まり、又此地震の最終激動前には、犬類挙て奔走せりと云ふ。又雉子の地震前に鳴くことは本邦人の常に実験する所なり。旧記を見るに弘化四年三月二十四日、信州の地災の前同年三月中旬気候盛夏の如く。十八日霜ふり桑花枯ること甚しく、山中池水凍り、或は忽ち雷鳴を聞く。然れども当日は快晴暖気にして至極平穏なりし。又安政二年十月二日東京大地震の前井水増し、浅草神田の地面に噴水せし処あり。同夜震前鶏の宵鳴き多く、又烏も啼くこと繁かりしと。 (*この間、界線あり)
今回濃尾の大地震前に余が知人の家にては、飼猫戸外に出でんと騒ぐを以て、戸を開きて放ち遣りたる後間もなく大激震起り、家人は皆其口より逃れ出で難を免れたり。而して飼猫は何処かへ立去り、数日を経て再び帰り来れりと」

○本所永倉町に篠崎某と云ふ人あり。常に漁を好みて夜々川へ出でにけり。二日(安政二年十月二日)の夜も数珠子といふ物にて鰻を取らんとて川にあさりけれども、鯰のいたく騒ぎければ鰻は逃去りて一つも得取らず。稍ありて鯰三つ釣りけり。サテ今宵は何故に斯く鯰の騒ぐやらん。鯰の騒ぐ時には地震ありと聞く。若しさる事もや有らんと家に帰り、家財ども庭へ取出しければ、女房は異しき事し給ふもの哉と笑ひけるが、果して地震ありて家は破れけれども家財は損せざりけり。其隣なる人も漁を好みて其夜も川へ出で、鯰の騒ぐを見たりけれども、争でさる事あるべきとて、釣りしつゝ有ける間に地震ひければ、驚いて帰りて見るに家も塗籠も、既く破れ果て家財も皆砕けにけり。」