南京日記1937年11月17日

南京日記1937年11月17日

一晩中、幹線道路は活発な往来で溢れていた。たくさんの自動車、トラックに、戦車までが行き来していた。どの車も荷物が山と積まれていた。政府の大掛かりな引っ越しが始まったのだ。国民政府主席、リンセン林森氏は既に退去したらしかった。私はハンの家族が心配になった。直ぐに出発をしなくては。

荷物を大量に積んだ何百台もの力車と、傍にはそれに付随する支那人たちが下関を目指していた。其処からまだ航行している数少ない汽船で、河の上流の安全な地へ逃れようとしていた。新しい徴兵の雑多な隊列は、痛ましい光景だった。包みを背に負いボロボロの一般服を着て、錆び付いた鉄砲を手にしていた。

今やっと、なぜ日本軍がこの数日でかくも迅速に前進できたか、その理由を聞いた。張学良(北方軍)の兵士約五千名が、蘇州で命令を拒否したのだ。人の語るところに寄れば、蒋介石自らが蘇州に赴き、彼の精鋭部隊の1連隊をもって反逆の徒の武装解除を行なった由。大元帥も大変だ。彼の活力に脱帽!元帥の直接介入によって漸く、蘇州の支那部隊は立て直されたらしい。「ヒンデンブルク前線」は残念ながら、日本軍の迂回によって無力化されてしまった。こうしてファルケンハウゼン将軍が作成した、素晴らしい防衛計画も無駄になってしまった。