南京日記

中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる

中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる 西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封3』に、中国兵の陳登元氏が自らの戦争体験を綴った『敗走千里』という本の解説がある。 この本はGHQによって焚書処分にされてしまったために、…

南京大虐殺の真相(要約版)

《1》南京大虐殺の真相(要約版) 2015年07月19日 | 南京大虐殺 改版履歴: 2017.02.22 全面書き換え 2017.08.20 紅卍字会の数値解釈変更に伴う修正。 2017.08.21 《混乱する論争と本考察の結論》追記。 2017.08.23 《教訓的課題》追記。 2017.08.28 紅卍字…

南京日記1937年12月16日

南京日記1937年12月16日 今朝8時45分に、大変控え目で親切な日本人通訳菊池氏から、書簡を受け取った。そこには、本日9時より所謂「安全地区」にて支那兵士の捜索に当たることが書いてあった。 これまで経験した爆撃も集中砲火も、今我々が直面しているこ…

漢口におけるスミス氏(ロイター)の講演に関する報告

2017年07月25日 漢口におけるスミス氏(ロイター)の講演に関する報告 外務省政治関係記録文書よりの出典。支那–日本 Pol VIII, 28, Bd.19. 12月13日朝、日本軍は未だ町に現れていなかった。南町はまだ支那軍の支配下にあった。南門前で夜激しい戦闘が起き、戦…

日本軍の南京入場を歓迎る南京市民

南京日記1937年12月15日

南京日記1937年12月15日 午前10時に我々は関口海軍少尉の訪問を受けた。彼に、日本軍司令官宛ての我々の手紙の写しを渡した。 11時には日本大使館員の福田氏が、我々とこれからの計画の詳細を話し合う為に訪れた。町の発電所と給水設備それに電話設備が再び…

南京日記1937年12月13日

南京日記1937年12月13日 日本軍は昨夜城門を幾つか占領したが、町の中にはまだ侵入していない。 我々は委員会本部に到着するとすぐ、ものの10分とかからぬ内に国際赤十字協会を設立し、私は幹部会員になった。そして数週間前から協会設立に心を砕いていた我…

南京日記 第4章 日本軍入城 1937年12月12日

南京日記 第4章 日本軍入城 1937年12月12日 残虐行為始まる 日本軍が密やかに町を占領するのでは、という私の期待は裏切られている。安全区には今もなお黄色の腕章を付けた支那軍が、ライフル銃や短銃、手榴弾で身を固めて彷徨いている。警察も、命令に反し…

南京日記1937年12月11日

南京日記1937年12月11日 午前8時 水と電気が止まった。銃撃はまだ止まない。騒がしい音が低くなったかと思うと、また新しく始まるのだった。うちの「ペーター」はそれが気に入ったようだ。声の限りを尽くして銃撃に合わせて歌うのだ。このカナリアは、どこ…

南京日記1937年12月10日

南京日記1937年12月10日 とても騒がしい夜だった。昨夜8時から今朝4時頃まで、大砲の轟音に加え、銃、機関銃の音がずっと鳴り響いていた。日本軍は既に昨日の朝、あわや町をほとんど征服するところだったという。彼らは全く手薄だったらしいGoan Hoa Menに…

南京日記1937年12月9日

南京日記1937年12月9日 町の外からの米の運搬がまだ終わらない。トラック一台はその際に損傷してしまった。苦力の一人は眼を負傷し、病院に運ばれた。委員会が彼の世話をすることになる。残っていた米国人とローゼン博士はシャルフェンベルクやヒュルターと…

南京日記1937年12月8日

南京日記1937年12月8日 昨日の午後、うちのNumber-One-Boyのチャンは、妻を鼓楼病院から連れ帰って来た。彼女はまだ全快はしていなかったが、この緊急時、子供達のそばにいてやりたいからだ。(使用人の)苦力は悲しそうだ。彼の家族は町から40マイル程の地点…

南京日記1937年12月7日

南京日記1937年12月7日 昨夜は車の音が盛んに聞こえてきていた。今朝早く、5時頃、たくさんの飛行機が家の上を低空で飛んでいった。それは、大元帥の別れの挨拶だった。昨日の午後私が訪ねたHuang大佐も出立していた ー 大元帥の命令だ! 貧民と、所謂安全…

南京日記 第3章 攻撃を待つ 1937年12月6日

南京日記 第3章 攻撃を待つ 1937年12月6日 第3章 攻撃を待つ ここに残っていた米国人の大半は米海軍の戦艦に乗船、他の者も何時でも乗船する準備ができていた。我々の委員会に属している者達だけが、退去を拒否している。ローゼン博士が私に極秘で打ち明…

読者の方々へ

2017年04月11日 読者の方々へ これから第3章を更新していきますが、1日の記述が長くなっていきます。毎日更新はできないと思います。来週は1週間遊びに行くので、またまた遅れます。ツイッターで一段落ずつ訳したものをこちらに移していますので、早く読…

南京日記1937年12月4-5日

南京日記1937年12月4-5日 兵士達はSafety Zone内に新しい塹壕を掘り、軍専用電話機を設置する為に、車で出かけていく。再び何時間もの空襲に遭った。飛行場に用事があって出かけていたクレーガーは、危うく死ぬところだった。彼から100メートル程の前方に…

南京日記1937年12月3日

南京日記1937年12月3日 ローゼン博士が、トラウトマン博士から私への伝言を携えてやって来た。トラウトマン氏は昨夜、漢口から乗ってきた税関巡洋艦で戻ったのだった。大使はやはり、大元帥の元に平和調停の提案を示す為に来たのだと、ローゼン博士はしばら…

南京日記1937年12月2日

南京日記1937年12月2日 何故かコメントができないので。仕事でへばってサボってました。すみません。まだまだ続きますよ~ フランス人ジャキノー神父(注1)の仲介で、日本政府からの電報の翻訳を受理。 1937年12月1日南京大使館(注2)宛て電報 11月30日付け…

THE FAKE OF NANKING by TAMAGAWABOAT

皇軍占領直後の南京市内の様子

南京占領の翌年1月。 江南の水郷湖州は日本の兵隊さん達で賑わい北門附近に藁葺きの飲食店が軒をならべて道行く人の食欲をそそっている。 1938.1.23 三船特派員撮影 アサヒグラフ 南京占領の翌年1月。 江南に春が来る。長興の町に、のんびりとした陽光が射…

南京日記1937年12月1日

南京日記1937年12月1日 9時半、クレーガーとシュペアリングを連れて委員会の会合があるPing Tsan Hsianに赴く。様々な部署を設け、人員リストを作るのが目的だ。マ市長が職員と共に会合に出席し、3万袋の米と1万袋の小麦粉を約束した。残念ながら、食糧…

南京日記1937年11月30日

南京日記1937年11月30日 ハン氏とその家族に、私の家に引っ越すようにと言い渡した。彼は、学校のいくつかの部屋に住み、台所や風呂場も作らせていた。彼の友達で、私の協力者でもあるI Ho Tung Brick Works社長のスンも、私の家に越してきた。 新しい防空壕…

南京日記1937年11月29日

南京日記1937年11月29日 シュペアリンクが電話してきた。警察長官の王固盤が辞職し、別の者がその職についたらしい。これに関してスミス博士の情報では、新しい長官は退去せず警察隊と共に残留すると言う。やっと良いニュースだ。16時に委員会会議。日本が中…

南京日記1937年11月28日

南京日記1937年11月28日 昨日の大元帥との話し合いの結果をローゼン博士が報告。 質問1「防衛戦は市外に留められるのか、市内での更なる防衛戦の可能性は。」 回答「我々は両方の可能性に向けて準備をしている。」 質問2「最悪の事態となった時に市の治安を…

ゲオルグ・ローゼンの身上書より

ゲオルグ・ローゼンの身上書より ゲオルグ・ローゼンのこの時代にあって数奇な運命は、一項を割くに値するであろう。 ゲオルグ・ローゼン法学博士は1895年テヘランに生まれた。父親と祖父ローゼンは当時高名な中近東研究者で、両者とも外務省に職を得ていた…

南京日記1937年11月27日

南京日記1937年11月27日 厨房係のツァオはなかなか病気が治らない。Jacopralを処方されていたがもうどこにも見つからなかった。薬局はみな店仕舞いして撤退していたから。今日になって、即ち5日も経ってから、人々はその事を私に報告することを思いついたよ…

南京日記1937年11月25日

南京日記1937年11月25日 医者の問題は深刻だ。我々は香港、上海、漢口の赤十字に電報で医者と医薬品の援助を要請した。外来の医者は要請できなかった。と言うのも電報は米国大使館を通したものであり、米国大使館は他国の大使館と同じように、同胞の南京退去…

南京日記1937年11月24日

2017年02月22日 南京日記1937年11月24日 ロイター社が予定より前に、国際委員会の計画を報道してしまった。ローゼン博士は昨日、東京が既にロイターの報道に基づき抗議した、とラジオで聞いた。ラジオでは、既に南京を退去した米国大使館がそのような計画に…

ヴォルフ・シェンケの日記から:南京最後の日々

2017年02月21日 ヴォルフ・シェンケの日記から:南京最後の日々 黄色い前線の旅。ドイツ戦争ジャーナリストの観察、オルデンブルク/ベルリン 1943年刊行、60頁以降より抜粋 私が南京に到着した時に残っていた人たちは、最後まで持ち堪える任務を帯びたドイツ…

南京日記1937年11月23日

2017年02月20日 南京日記1937年11月23日 今日は55回目の誕生日だーおめでとう、ラーベ!プレゼントはまず、どんよりとした天気だった。それもまた良し!お母ちゃんからは電報ととても素敵なマフラーが贈られた。どうもありがとう!残念ながら、マフラーは届…