南京日記1937年11月30日

南京日記1937年11月30日

ハン氏とその家族に、私の家に引っ越すようにと言い渡した。彼は、学校のいくつかの部屋に住み、台所や風呂場も作らせていた。彼の友達で、私の協力者でもあるI Ho Tung Brick Works社長のスンも、私の家に越してきた。
新しい防空壕はまだ完成していない。我々は大車輪で働いている。両側を木の厚板で支え、固定することなく積み上げた煉瓦の壁以外は ー セメントがないので ー 鋼の板も使用している。誰がこの板を調達したかは、私は知らない。板も、他の物も、いつの間にかここに転がっていたのだ。

私の庭は素晴らしい眺めだ。トラックはあと大きな水のタンクを運ばなければならない。
きっと水道局は断水してしまうだろう。灯油も購入した。ロウソクも充分にある。石炭は、約一ヶ月分備蓄してある。

一晩かけて、予備のインシュリン治療器を煮沸した。私はいつも器具一式とインシュリンのアンプル3本を持ち歩いている。チャンの妻はまだ入院中だし、厨房係もまだ臥せっている。彼の容態は良くなってきた。Jacopralをちゃんと飲んでいる。薬は効いているそうだ。なんてったって、すごく不味いから!

蕪湖からは、ブラウン医師とフランス人神父が到着した。蕪湖にもここと同じような中立区域を設置する計画があるので、その助言を求めに来たのだ。残念ながら我々自身、途方に暮れた状態だ。

南京に残留している住民のもっと正確な数の情報を求めているが、私に「大変正確な」数を調査する約束をしていた前警察長官、すなわち王固盤氏は官職を退いてしまった。何となれば彼は軍の人間ではなく、この様な大任を果たす自信もないからと言う理由からだったが、彼は逮捕されたらしい。

スミス博士からの電話。6万袋の米が町の中に、3万4千袋は下関にあるという。それだけあれば、当面は大丈夫だ。あとは仮小屋 ー 藁小屋に筵が必要だ。この寒さ、人々をどうにか収容しなければならない。
以下は、国際委員会が解決するべき問題点の一覧である。

1. 財政

2. 警察
安全区域入り口の監督
安全区域境界線の監視
警察官の人数の把握と宿泊所の確保

3. 兵士と軍関係
退去命令と点検
軍敗走の際の対策
負傷者の看護

4. 日々の賄い
食糧の量の把握
備蓄と分配

5. 運送と運送方法

6. 難民の収容
収容所の監督
建物の使用と管理
(a) 公共建物(政府関係)
(b) 学校やキリスト教伝道関係の建物など
(c) 空き家
筵にテント

7. 公共施設
水供給
電気
電話

8. 公衆衛生と健康管理
便所設置
ゴミと糞尿処理
病院と医療設備

南京安全区域国際委員会リスト

氏名 国籍 所属

ジョン・ラーベ 委員長 独 支那ジーメンス

Lewis S.C.Smythe書記 英 南京大学

P.H.Munro-Faure 米 米教会伝道

P.R. Shields(退去) 英 国際貿易会社

J.M.Hansen(退去) デンマーク Texaco

G.Schultze-Pantin(退去) 独 Shingming Traiding Co.

Iver Mackay(退去) 英 Butterfield & Swire

J.V.Pickering(退去) 米 Standard Oil Co.

Eduard Sperling 独 上海 Insurance

Dr.M.S.Bates 米 南京大学

Rev.W.P.Mills 米 長老派伝道

J.Lean(退去) 英 A.P.C.

Dr.C.S.Trimmer 米 南京大学

Christian Kröger 独 南京Carlowitz

George Fitsch 米 YMCA

6名は南京占領前に退去した。