ホルスト・ベーレンシュプルングの日記から

ホルスト・ベーレンシュプルングの日記から

Dr. Horst Baerensprung. マクデブルクの元警視総監。社会民主主義者。1933年に支那に移民し、南京警察学校顧問になる。1937年から蒋介石元帥司令部における軍事警察顧問。

 「陸軍は火薬と名誉のみを堅持する」ー これはあの日、降り続ける雨の中途切れることのない隊列を目にした時に何度も頭に浮かんだ詩の一節だ。殆ど7時間に渡り、南京近郊の穴だらけで壊れた街道を軍隊が通って行くのを見た。続々と中隊が通った。将官たちの殆どが徒歩で、数人だけが濡れそぼった、もじゃもじゃのモンゴル小馬に跨っていた。無情にも雨は止むことはなく、大抵の兵士は油紙の傘を差していた。雲は暗く垂れ込め手に取れるようだった。南京の象徴の紫衣山と獅子山が深い霧の中に聳えていた。こんな天気でも、いい事が一つだけあった。空襲の見込みがない事だ。

  兵士達は肩に最新の銃を担ぎ手榴弾の付いたベルトを巻いていたが、足元には草鞋しか履いていなかった。背囊もなければ外套もなく、氷のように冷たい風にも拘らず夏の軍服しか着ていない。各々巻いた毛布か防水布を斜めに掛けていたが、他には何も持っていなかった。それに引きかえ、全員に背囊が行き渡っている我が兵士達の何と贅沢なことか!

  多くの重い軍用品を運ぶ苦力が列をなしていた。荷物は全て、竹竿で運ばれていた。二人の苦力は、軍隊用釜の代わりに、やたらと大きい鍋を担いでいた。それから、最新の機関銃や速射砲が防水布に包まれロバに引かれてやって来た。入念に防水布に包まれた機関銃とびしょ濡れの兵士達を見比べた時 ー 昨夜彼らがびしょびしょの耕地で夜を明かした事はすぐに見てとれた ー 私に浮かんだ言葉は、全ての火器、銃から曲射砲までに関し、兵士の頭に刻み込まれる大元帥命令だ。曰く、「この武器が御前達の同胞の血と涙で購入された事、ゆめゆめ忘れるでない!」苦力達が一生働いても、彼らの運ぶ武器を買うほどの金は稼げぬであろう。衣服や靴や、その他便利な物にかける金は元よりなく、武器のみに費やされていた。キリストが弟子達に次のように助言した時、同じような状況だったのであろう。「御前達の衣服を売り、剣を買うべきである」(ルカの福音書22,36)

第1章了