南京日記 第2章 事態は深刻だ 1937年11月19日

南京日記 第2章 事態は深刻だ 1937年11月19日

第2章 事態は深刻だ


  雨が降り続ける中、今だに根気よく荷物作りが続けられていた。私はまだ業務書類を作成しなければならないが、仕事が多過ぎて仕事にかかれない有様だ。ハンはかなりの大金を取立てた。会社の金の殆どと私自身の2千ドルは漢口に送金し、従業員全員には11月分の給料が支払われた。これで最後の店が店終いする前に、食料を買うことができる。私は1トンの石炭と灯油を4樽備蓄できたが今はこれ以上は手に入らない。使用人たちは不安を隠せぬ様子で働いていた。私もKutwo船で行ってしまうと思ったから。だから、私が何があろうと絶対に南京に残ることを説明すると、皆大変喜んだ。

  国際委員会が結成されていた。それは主に鼓楼病院の米国人医師と南京大学の教授たちから成っていた。全員、宣教師だ。彼らは難民収容所を作ろうとしていた。即ち、町の中か郊外に中立区域を設定し、町への攻撃の際には非戦闘員が逃げ込めるようにする為だ。私が南京に残ることは既に知れ渡っていたので、委員会に入るや否やの打診が来た。私は賛同し、スミス教授宅の夕食会でかなりの数の米国人会員と知り合った。

  ドイツ大使館では、取り敢えず三人残ることになった。ヒュルター、ローゼン博士にシャルフェンベルクだ。なぜローゼン博士が残るのかは私にははっきりしなかった。私が聞いたところによれば、彼は自発的に残留希望をした訳ではなかったから。それで、私はトラウトマン夫人に、現在不在の大使が命令を撤回するよう、口添えを依頼することにした。夫人はできる限りのことをしてくれるだろう。全身全霊をかけて事に当たれない人間をこんな所に残して、何になろう。博士は私の介入については何も知らないし、知らせる必要もない。Melchior von Carlowitz社は町を去るよう私に助言を与えてくれたが、それを丁寧に断った。

私は別に闇雲に事に猛進するわけではない。私の決心は固かった。愛するドーラ、どうか怒らないでおくれ。他にどうしようもないのだ!ついでに言えば、ヒルシュベルク博士の家族は全員残るし、フォン・シュックマン夫人、テキサス石油会社の社長、ハンゼン氏も残る。命を危険に晒すのは、私一人ではないのだ。ハン氏も、私と生死を共にする決心をした。そうしてくれると信じていた。素晴らしい男だ!