南京日記1937年11月22日

南京日記1937年11月22日

  隣人の靴職人はくたばっちまえばいい!警報が鳴ると妻子や一族郎党引き連れていの一番に逃げ込んできたものが、防空壕が4分の3メートル水没してからは、排水作業に顔も見せない。今に見てろ!

  ローゼン博士からの電話。10時に空になった大使館に何人かのドイツ人残留者が会議を開き、これからの相談をする。その間に、私は家の者を総動員して排水作業にかかっていた。例の靴職人の罪は全て水に流した。彼と妻と3人の子供たち、それに半ダースもの親戚たちが排水作業に従事していた。やっとこさ壕の排水は完了したが、防空壕の一部、西側の壁は崩落してしまった。

  二つの警報の間に、ローゼン博士とドイツ大使館で協議。ローゼンは結局残留するようだった。私のとりなしは役に立たなかった。
  17時に南京の非戦闘員の為の中立地帯設置を目的とする、国際委員会の会議。私は委員長に選ばれた。固辞したが無駄だった。良い目的の為に私は折れた。この重大になるであろう義務を、私がしっかり果たせることを望もう。ドイツ大使に、彼が乗船する前に委員会の書記、スミス博士を紹介したが、その時に、日本大使館に送られるべき電報内容に同意してくれた。電報は無線を持つ米国大使館から上海の米国総領事館へ送られ、そこから日本大使に送付される手筈である。英国と米国大使の許可は既に取ってあった。委員会会議では、上海の日本大使館が電報を受理するまで、その内容を公表しない事が可決された。

我々の日本人に対する呼びかけが無駄にならぬ事を望む。仏人、伊人は残留者がいないので、委員会には参加していない。電報内容の訳は次の通りである。(原文英語抜粋、ドイツ語よりの翻訳)

  デンマーク、ドイツ、英国と米合衆国から成る委員会は、これを持って支那及び日本国政府に、難民の為の安全区域を設置することを提案する。南京市内又は近郊で起こるべき敵対行為に備えるのが目的である。

  国際委員会は、支那政府よりの特別保証を持って、「安全区域」内は全ての軍事設備、事務局及び交通局等の設置を禁じ、ピストル携行の民間警察以外、あらゆる武器携行を禁じる事を義務とする。全ての兵士、軍属そして将官の全て又はそれに準ずる身分の者の安全区域への立ち入りも禁止される。国際委員会は、その義務を考慮し忌憚なく遂行する事を取り計らうであろう…

  国際委員会は、日本政府が人道的立場から安全区域の民間人を尊重することを望む。このような人道的な民間人保護は、必ずや責任ある両政府の名誉を保つであろう。委員会は、日本政府に迅速なる返信を切に願う。それによって、委員会は速やかに支那政府との交渉を進め、難民保護に必要な準備を整える所存である。

 その後
  委員会会議から帰宅後、ボーイのチャンが妻の為に医者の往診を要請してきた。ヒルシュベルク医師の診立てで、チャンの妻は数日前に流産した事が判明、すぐに鼓楼病院に運ばれることになった。